締切の前夜になると、なぜか机を片付けたくなる。原稿が一行も進んでいないのに、ペン立てを二つに分け、文房具屋で買ってきたまま忘れていた紙やすりで、古い消しゴムの角をきれいに削っている自分がいる。逃避としての整理整頓、と私はこれを呼んでいる。
困ったことに、この逃避はわりと効く。机を整え終える頃には、書きたい一行が、たいてい一つだけ、ふと浮かんでいる。整えるという行為は、たぶん思考にとって深呼吸のようなものなのだろう。
五月の光は、机の天板に長くまっすぐ落ちる。その光の上で、ペンの影が動くのを、しばらく眺めてから、ようやく書き始めた。
書き始めると、片付けた机の上には、また何かが少しずつ積もっていく。湯気の立っているカップ。書きかけの紙。読みかけの本。それは「散らかる」というよりは、夜が机の上にゆっくり下りてくる、という感じに近い。
朝が来てまた整える。整えるたびに、何かを一行だけ書ける夜が来る。それで十分な気がしている。